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2011年5月26日 (木)

2011-05-25とみた潤Twitter今日のつぶやき

  1. 職員研修に参加させてもらっています。震災派遣の報告です。非常に興味深いです。
  2. 南三陸町の現状について 1東三河8市町村震災復旧支援会議 東三河災害支援隊 2現在の南三陸町の現状を理解する 3南三陸町支援に関しての今後の考え方 4本市の防災に生かす という内容です。
  3. 目的地がきまらないまま出動した。清水IC付近で目的地が、宮城と決定。
  4. 亘町の消防職員の2/3が家族と連絡が取れない状態。手持ちの食料を滞在日数で割って凌いでいく。寝袋で寝た。朝は想像以上に寒かった。
  5. 亘町の荒浜地区で活動。建物の倒壊はないが、瓦が落ちていた。ガソリンスタンドは行列。待機中に地域の人たちと話せた。まだ水が引いていない状態。活動を開始した。取り残された住宅の捜査にあたった。本来は消化活動部隊で来たので水難装備は無かった。他の部隊から借りて活動した。
  6. 割れた窓から住宅に入り探した。まだ水が引いていないなかでの活動。腰あたりまで冠水。豊川隊のゴムボートで遺体の搬送→自衛隊に依頼した。津波による待機、機材不足で疲労した。翌日夕方には帰隊。
  7. 2日目。山元町へ移動。海岸沿いは道路以外冠水。車両が流されていた。全てが流されたかんじで、湖のようだった。活動はローラー作戦。漂流物が活動を妨げた。マーキングをして歩く。地元消防団員と遭遇。その時津波危険という放送が!
  8. 車両まで全力で戻った。命の危険を感じた。
  9. 余震の度に活動を中断。阪神大震災は家屋を探せばよかった。しかしこの津波は家屋を探しても見つからない。そして無事活動終了。帰隊時は福島を通過中は外気を入れないようにした。680キロの走行。寝ずに走行して帰還。被爆チェックを終えて市長に向かった。
  10. 自然の力に立ち向かうことはできない。日々の訓練をしっかりやっていかなければならないと感じた。1つ目の報告終了。
  11. 2つ目は石巻市における応急処置給水活動 日本水道協会災害対策本部からの派遣要請。4/3から24日まで5班を派遣。他にも矢板市でも1班が活動。豊川市から700キロ。仙台東道路を走行中に実感した。
  12. 17:30頃到着。石巻地方広域水道事業団から石巻の地図をもらった。給水拠点が記してあった。先遣隊の寝床はプライバシーもない。かなり疲弊した。朝の5時半に出発、17時まで給水活動。その後明日のために加水してホテルに帰ったのは20:30。
  13. 蛇田浄水場の消火栓が生きていたので、そこから加水。魚町2丁目の避難者への給水。瓦礫の間を縫って、歩道を走行して帰る。加圧式給水車両だつたのでうまくいった場面もあった。炊き出しボランティアへの給水。自衛隊給水車両への加圧給水。1階が水没していても2階で生活している人もいた。
  14. 湊町3丁目給水場所では山積みの自動車の下を通っていった。道路に家があった。給水施設がわからない。道路の冠水が、海水なのか水道水の漏洩なのか初日は多数あった。門脇地区の給水拠点は見つからず。
  15. 飲み水だけでなく、洗い水がほしいというニーズもあった。ニーズに応じた対応が必要だと感じた。現地では震度6があった。あれだけの揺れは初めてだった。避難者となった。暗い中での、避難。大変だったのはトイレである。今後の東海地震にも役にたつと思う。
  16. 3つ目の報告に移ります。南三陸町の現状。
  17. 豊根村に南三陸町に嫁いだ人がいたので、そのツテで南三陸町に向かうことに。1班は5人。栗原市にHotelをとった。ここはライフラインも無事。100%の活動をするにはこれがベスト。町の仮庁舎はベイサイドアリーナ。分担して活動にあたった。印象としては、あの地震であまり倒れていない。
  18. 被害は地震でではなく津波によるもの。いままでの「想定」という概念を考えさせられた。3階あれば大丈夫だろうという想定。しかし骨組みだけに。
  19. 行ってはじめて仕事が割り振られた。役割は行政支援。電話応対など。現地の行政の人出がない。生涯学習課の支援で、資料の復旧作業。資料が全て流された。4人の職員のほとんどが災害支援に駆り出されていた。この仕事中でいいのかという思いもあった。現地の行政機能が壊滅のためこういう仕事もあった
  20. 隊長は歌津町の現地本部での支援にあたった。中学校の避難所にはお骨があった。近くのお寺からの避難でここに。毎日新聞お参りをしていた。
  21. 避難所では宗教活動も見受けられた。地域のつながりがつよいのはスゴイ。名前を出して、誰々は大丈夫かと話すと、避難所の誰かはその人の消息を知っている。これはスゴイ!地元の職員もホームページから情報収集。毎日秋田から送られてくるおにぎりは賞味期限切れ。日々ニーズが変わってくる。
  22. 最後の方にやっと野菜がきた。自宅にいるかたの分も必要。乳幼児優先で配布も。関西広域連合はすでに5次隊になっていた。当時は南三陸町は手がないため、支援部隊の横の連携をしようという動きになった。しかし、今現在引き続きがうまく行っていないようだ。学校再開が何を意味するか。
  23. 学校再開は避難所の縮小である。現地の軋轢がうまれるかも。1週間交代をメリットとデメリット。慣れた頃に交代になる。総務関連のしごとのみ2週間にした。現地からのようせいで野菜が必要。現地のニーズに合わせて支援することがたいせつ。新しい防災対策が必要。しかし最後はじぶん自身。
  24. 南三陸町のポータルサイトは立派である。この状況下でよく情報を集めていると思う。http://minamisanrikushien.blogspot.com/ 
  25. これで人事課研修の災害派遣報告は終了しました。現地の混乱状況は伝わってきました。
  26. RT@hanayuu: 『校庭20mSVにゴーサインを出した議員は誰か?絞られてきた 』低気温のエクスタシーbyはなゆー|http://bit.ly/l8kNY3
  27. 豊川市の予算書がホームページにアップされました。今まで分厚い冊子だった予算説明書がPDFファイルで見れるようになりました。ぜひ豊川市の1080億円の予算の中身をみなさん見てみて下さい!http://t.co/AYXOSmW

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